【雑談】ペン博士の簿記歴

こんにちは!

 

ペン博士が簿記教室を開講して、約1か月がたちました。

 

今更ですが、自己紹介をしようと思います。

 

〇簿記教室を始めた理由

まず、ペン博士がなぜ簿記教室をすることになったかですね。

理由は単純明快です。

「ただただ簿記が好きだから」

 

好きなものを皆さんに知ってほしい。

困っている人がいるなら手助けしてあげたい。

だって、自分も昔は悩んでいたから。

 

これが簿記教室を開講するに至った理由です。

 

〇簿記との出会い

ペン博士が簿記に出会ったのは高校生のときです。

商業高校出身だったので、簿記は必修科目でした。

 

当然、この段階で簿記については詳しくありません。

なんなら、得意でもありませんでした。

 

そんなペン博士に転機が訪れたのは高校2年生の夏。

簿記の担当教師から日商2級を受験しないか、と声をかけられたときでした。

 

好きでも得意でもなかった簿記ですが、一応テストの点数がよかったので、

ペン博士に声がかかったのです。

 

当時、日商2級を受験したのは希望者のみ。

希望者は夏休みに学校に集まって補修を受けたのです。

 

将来的に役に立つだろう、そんな思いで受験を決めました。

ですが、日商2級はそんなに優しいものではありません。

なかなか伸びない点数に、何度リタイアしようと思ったことか。

 

それでも、テキスト代と受験料を負担してくれた親のためにも、途中離脱は避けたい。

せめて、頑張るだけ頑張ろう。

 

そうやって11月の試験のために、青春を簿記に捧げたのです。

 

当時の私は、とにかく検定試験を大量に受けていました。

日商簿記以外にも、9月は情報処理。10月は定期テスト、英検、財務諸表分析。11月は英検の二次面接そして日商簿記

さらには日商試験の次の日からは、修学旅行があったんです。

 

毎日、複数の試験勉強を平行して行っていました。

放課後も教室に残り、先生に補講をしてもらう。

そんな努力の日々が続いたのです。

 

そして、迎える11月某日。

正直、自信はありませんでした。

 

というのも、当時の私が過去問を初見で解いたとき、だいたいが70点を下回っていたのです。

 

試験後の感触としても、ぎりぎり下回ったかな。という感じでした。

 

ですが、落ち込む暇もなく、修学旅行の荷造りが始まり、次の日には海外に飛んでいたので、正直簿記のことは頭から抜け落ちていました。

 

そして、数日後、合格発表を迎えました。

 

こっそり、パソコンルームへ行き、商工会議所のHPから合格発表の瞬間を待ちました。

あの時、友達と囲んで見たモニターの光景は忘れられません。

 

そして、合格発表の瞬間、思わず息がつまりました。

そう、受験番号があったのです。

 

こうして、日商2級を所持することになったのです。

このとき私は天狗になっていました。

自分には簿記の才能があるのだと。

 

天狗の鼻が折れたのは、それから約1年後。

会計実務検定という試験の時です。

 

この試験、高校生を対象とした試験なのですが、内容は日商1級の簡易版。

内容も複雑化していました。

 

この試験も先生が補講してくれたのですが、試験の難しさからか受験するのはたったの数名。

授業するほどの人数が集まらなかったことから、補講は質問形式になっていました。

 

先生からテキストを預り、自分でプリントの問題を解く。わからないところがあったら先生に聞く。

ほぼ独学の状態でした。

 

正直、今回も頑張れば合格できるだろう。

そう思っていました。

 

しかし、箱を開けてみれば結果は不合格。

高校3年で私は簿記不信になりました。

 

この時の敗因を後から分析したのですが、結論は1つ。

それは簿記を暗記に頼っていたからです。

 

それに気づかなかった当時の私は、簿記の勉強を辞めてしまいました。

というものの、この試験、年に1回しかない貴重な試験だったのです。

 

簿記から離れて数か月後、私は商業高校を卒業しました。

 

そして、商学部のある大学に進学したのです。

 

〇税理士を目指す

大学生になった私は、何かをやりとげたい。という思いが高まっていました。

 

そして、簿記のリベンジを思いつくのです。

日商1級を取る。

そう決めたのが1年のゴールデンウィークのことです。

 

市販のテキストを片手に、電車で勉強する日々が続きました。

この時は、商業簿記の分野の基礎問題がぎりぎり解けるレベルです。

 

そしてぶち当たったのが、工業簿記・原価計算の壁です。

 

正直、日商2級のときと桁違いの難しさでした。

と言っても、あくまで独学の理解度。

助けがなければこんなものか。そう自分で納得せざるを得ませんでした。

 

そんなレベルで高い受験料を支払って受験する度量もなく、気が付けば1年がたっていました。

 

なかなか問題が解けず、工業簿記は意味がわからない日々。

やはり、自分は簿記の才能がないんだ。

そう思っていた矢先、突如目標を見つけます。

 

それが税理士試験です。

 

なんと、この試験、私が苦手な原価計算は試験範囲から除かれているんです。

 

商業簿記、会計だけなら、まだチャンスがあるかも。

 

そう思って、日商1級から税理士試験にシフトチェンジしました。

それが3年に上がる直前のことです。

 

4月からは市販テキストで勉強を始めました。

受験をするのは「簿記論」と「財務諸表論」です。

 

税理士試験は60点が合格ラインですが、正式な合格点が明らかにされていないので、専門学校により解答も合格ラインも異なります。

 

なかなか合格ボーダーに乗らない日々。

今年は記念受験にしよう。

 

そう思って受けた8月の試験。

そして待ち受ける12月の合格発表までの日々。

 

簿記論は落ちている気しかしなかったのですが、財務諸表論は五分五分の感触。

独学の限界を感じました。

 

そして、驚くことに財務諸表論に合格。

天にも手が届く気持ちでした。

ずっと折れていた天狗の鼻も、ガムテープで補強されたようです。

 

となれば、簿記論にも合格したい。

そう思って、ついに専門学校に通いだします。

 

絶対に合格する。

そう決意し、1月から8月までの日々、ほぼ受験勉強に身を捧げました。

 

6月の模擬試験では、なんと上位0.3%にランクインしました。

折れていた天狗の鼻が接着剤でくっついたのです。

 

8月に試験、12月に合格発表。

ついに私は簿記論にも合格できたのです。

簿記の楽しさが完全復活しました。

 

そのまま、簿記に関係する仕事がしたいと思い、会計関係の仕事に就きました。

 

今は、日商1級のリベンジをするために、水面下でこっそり原価計算の勉強をしています。

 

〇最後に

みなさんに知ってもらいたいこと。

 

それは、諦めないことです。

 

簿記は、一度に成長することができません。

少し成績が伸びれば、すぐに伸び悩む。

それでも休まずに勉強していれば、突然理解ができるようになる。

 

その繰り返しで合格レベルまで成長するんです。

 

このブログを見てくれる皆さんは、何かわからない論点があってたどり着いた人だと思います。

 

わからないことって、その場では理解できても、いざ自分で問題を解くときに、頭がこんがらがって解けなくなる。そんなことばかりだと思います。

 

ペン博士の簿記教室はそんな悩みを解決する手助けがしたい。

そんな思いで解説されたブログです。

 

一般的なテキストや問題集では説明されないようなこと。

そんな細かいことまで、丁寧に説明していく予定です。

 

目標は当ブログから合格者が出ること。

 

そのために、私が長きにわたって身に着けた合格するためのテクニック、内容を理解するためのコツ。それらをみなさんに伝授しようと思います。

 

すべては、簿記が好きな人が増えてほしい。

この思い一筋です。

 

皆さんがどのような経緯で簿記を勉強するに至ったかはわかりませんが、少なくとも、このブログを見てくれているということは、勉強のやる気はあると思います。

 

わからないことは、人に聞きましょう。

身近に簿記に詳しい人がいればいいのですが、あまりいないでしょう。

 

専門学校の講義を受けているなら、受けれるサービスはどんどん活用しましょう。

 

それでも、まだわからないなら、ネットで検索しましょう。

あなたがつまづいている論点は、受験生がみんなつまづく論点です。

いろんな人が解説記事を書いています。

 

当ブログもその一つとしてご活用ください。

どこかで腑に落ちる部分があるかもしれません。

 

 

それでは最後になりますが、ペン博士はあなたの合格を心から応援しています。

一緒に合格目指して頑張りましょう!

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